美味しんぼを読んでも食通にはなれなかった。
中学生の頃から美味しんぼを読んで、それからずっと食に関する漫画が好きになった。
当時は今ほどグルメ漫画が流行っておらず、それでもミスター味っ子なんかを読んで、自分も味覚を磨きたいと思っていた。
ちょうど、格闘漫画や不良漫画を読んで強くなりたい、と筋トレを行うような感覚だった。
美味しんぼが他のグルメ漫画と異なるのは、ただの美味しさだけでなく、食品に対しての安全性や、食品の持つ本当の味というものにこだわりをもっているところだろう。
最近では福島の話題などにも触れているが、僕が一番熱心に読んでいたころは、本当に食に対するこだわりだけだった。
特に化学調味料が入っていることや、ラーメンのダシの材料を当ててしまう、海原雄山や山岡士郎は、格好良く思えた。
ラーメン屋などに入って、ゆっくりとスープを飲み、「うーーん、これは化学調味料が入っているな。」なんてしたり顔することに憧れていた。
実際、外食した際などに、よく味わい美味しんぼに書いてあるような味の差を感じるべく、ゆっくりと咀嚼したりしていた。
しかし、そういわれれば、化学調味料のピリッとした感じを感じられなくもないが、何も意識しないと何も感じない。今考えると腹が減っていることの方が優先して、味をよく確認している余裕がなかったのだと思う。
それからしばらく、美味しんぼを読んで、味わうことを意識して食事をしていたりしたのだが、漫画に書いてあるような感動や味わいというものは現実には感じることが出来なかった。
結局のところ、腹が減っていると、多少美味しくないものでも美味しく感じるので、そんなに細かい化学調味料だの、どのどの産の昆布と煮干しを出汁に使っているだの、分かりようもないのだ。
少なくとも僕には。
そして、僕は大人になった今でもグルメ、食通にはなれなかった。
でも、一応美味しんぼは、今のところ発売されている単行本はすべて集めている。
漫画としては面白いが、僕自身はその漫画の中に入り込むことは出来なかった。
知識としてしか味覚は入ってこなかった。
今でも、美味しいものを味わってちょっとだけ食べる、という食べ方に憧れる。
これが出来るようになれば大人だな、なんて思ったりもするのだが、腹が減っている時はそれが未だに出来ない。
食も酒も嗜むということが出来れば、大人の仲間入りだと自分の中でのゴールがあるのだが、ゴールはまだまだ遠い。