たかもブログ

お酒、スマホゲーム開発、Web制作のことなど好きなことを何でも書いています。事実のみすべて主観です。

自分が作った作品には必ず愛着を持たないといけないのか?作った作品に愛着を持たないことは悪なのか?

f:id:takam0:20190515110754p:plain

以前、業務でつくったWebサービスを巡って、「作ったサービスに対しての愛着がないですか?」ということを言われたことがあります。

そのサービスは、企画立案、構成、デザインとマークアップ以外のプログラミング、プレスリリースなんかも全部独りでやりました。

そのうえで、愛着があるかないかと言われると、作った後のことって、あまり興味なかったりします。
もちろん運営はきちんとしますが、愛着云々のことでいうと、これが正直な感想です。

ですので、「愛着?特にない」と思いました。
ビジネスですので、成果が出なければ損切りは必要です。そこは、誰が作ったからとかでなく、冷静に判断する必要があります。

よく「自分の作った作品は、ひとつひとつが自分の子どものようなもの」という方がいて、作った人はそうあるべくみたいな感覚なんでしょうけど、僕はそうは感じられないのです。

なんだか、作りもしない人に限って「作ったものには愛着を持て」とか言う傾向にある気がします。

バズったりヒットすれば、次に何を仕掛けよう、とかモチベーションが上がりますが、そのサービスやアプリに関して、特別な愛着というものは沸きません。

なぜなんでしょう?薄情者なのでしょうか?

何かを作る人は、作ったものに必ず愛着を感じないといけないのでしょうか。

 

作るモチベーションと作った作品への愛着は違う。

僕は、アプリに関しては20種類以上つくっています。

今ではUnityでiOSもAndroidも同時に作れますが、昔はEclipseとXCodeでそれぞれ、プログラム言語を変えて2パターン作るという、効率の悪いことをしていました。

ですので、作ったアプリは作業本数でいうと、50本以上になります。

アプリの一本一本は考えて作っているので、それなりに思いを込めています。

少なくとも、会社でやらされている作業ではないので、モチベーションを持って作業をしています。

ただ、作るモチベーションと、作ったものに愛着を持つ、というのはちょっと違うと思っています。
もちろん、作ったものを良くしていこう、というアップデートはしますが、僕の中では愛着ともちょっと違うと感じるのです。

作ったものに愛着を持つことと、責任を持つことは違う。

作ったサービスやアプリに対して、バグを修正するとか、そういう責任は当然あります。

冒頭で書いた会社で作ったWebサービスへの愛着に関しては、作った者の責任と混同している部分があると思います。

どうして、お前が立案して作ったサービスなのに、クローズするなんてことを言えるのだ!自分の作ったサービスはお前が責任をもって育てるのが人間としての筋だろう!」とかそういうことなんですね。

もちろん、そこまで面と向かって言われたら、引っぱたきたくなってしまいますが、「愛着がないのか?」というのは、そういうことなのかな?と思いました。

会社でサービス開発や運営をすると、愛着を持っている人は少なくて、責任感を持って運営できるかどうかという話になってきます。

また、愛着云々よりは、収益になるかならないか、どこまでで損切りするか育てるか、というシビアな判断になります。

ですので、そういうビジネスの場における、愛着というのは感じませんし、感じる必要性もないのかと思います。
もちろん、育てるための改善案を考えるとかはしますけど、それは愛着というよりはモチベーション維持によるところが大きいように思います。

 

個人開発は、トライエラーの実験の場。愛着持ってる暇がない。

僕はゲーム開発に関しては、どこぞのゲーム会社で開発経験があるわけでもなく、完全に素人です。

ただ、なんとなくアプリを作るなら、ストーリー性があって、自分の遊び心みたいなものを表現できれば、と思いゲームのようなものを作っています。

実際に会社でWebサービスを作ってみたりして、自分には企画や開発する能力があっても、マーケティングに関してはかなり下手糞だと認識しています。

ですので、個人でやるには、トライエラーで数打つしかないと思っているのです。

そのうえで、ひとつひとつのアプリに対して、愛着を持ってアップデートをかけるとか、育て上げていくという感覚が、今のところ僕にはありません。

もしかしたら、今後愛着を持って育てていくようなアプリを作るかも知れませんが、今のところはまだまだ実験してみたいことがあるので、愛着を持っている暇がありません。

作品には失敗作もあるし、今後のさらに良いものを作るための踏み台になるような作品だってあります。

失敗が次の作品に生きることも多いので、作った作品は無駄ではないし、失敗の経験も無駄ではありません。

僕の中では、ひとつひとつ立ち止まっていることができないのと、愛着を持てないことはイコールとなっているのです。

アプリをリリースして受けなかった、反響がなかったら、次のことを考えるのに、愛着という感情は特に必要がないような気もするのです。

でも、作ることには愛着をもっている。

趣味でやるなら、愛着を持つのは当然です。

僕は、正直アプリ開発に関してはビジネスに育てていきたいと思っています。
やっていることは趣味の延長のようなことですが、自分の中では本気でビジネスにしたいと考えています。

そのうえで少なくとも、作ることには愛着を持っていると思います。

個人開発者はみなさんそうなのではないでしょうか。

少なくとも、他人が作ったものに批評や批判をするのではなく、作って発表する側に回ったということは、モノづくりに愛着を持っているということです。

 

それで良いと思います。

 

ということで、これからも、思いついたことをガンガン形にしていきたいと思っています。