「ユーザーの立場に立って」の違和感
制作をしていると必ず「ユーザーの立場に立って」「お客様の立場に立って」「ユーザー目線」と連呼する人がいる。もちろんそれは正論でユーザー、使う人の立場に立って作るべきだと思う。
だが連呼する人に限って自分本位だったりする。
自分の好きな時間に働き、自分の都合でしか物事を考えないような人がユーザーの立場などと言うのを聞くと何かこう違和感を感じる。
自分ではない人の立場に立つというのは思いやりの精神である。
思いやりというのはその人が持っている性格の部分であり日常的なものだと思う。
制作の中だけはなんとかなるようなものではないのではないか。
そもそも他人のことを慮る姿勢がない人が仕事の時だけ他人の立場に立てるものであろうか。
もちろんユーザー目線という目線でロジカルに分析できる人もいるであろう。
だがそれはあくまで分析であって思いやりやおもてなしではない。
一見うまくやっているようでいてもどこかで綻びが出てくるような気がする。
自分以外の立場に立つというのは簡単なようでいて難しい。
自分と他人は違うからそれはそうである。どこまでいっても予測でしかない。
だったら自分で作りたいもの、自分が欲しいものを考えて共感してくれる人がいたらラッキー、っていう考えでものを作ってもよいと思う。
自分で面白いと思ったもの、作っていて楽しいもの、それのことで頭がいっぱいになるもの。自分が作って満足であれば良いではないか。
そんなことを時々考える。
俺が俺のために俺の作りたいもの俺の好きな時間に作るプロジェクト。
それが個人アプリだったりする。
それで生活が成り立ったら格好良いな。