酒は陰でこそこそ楽しむもの。酒のほそ道41巻を読んで歩き飲みについてハッとさせられた。
先日、僕の大好きな酒漫画「酒のほそ道」の41巻を読んでいてハッとすることがありました。それは、著者であるラズウェル細木先生がコミック冒頭のまえがきで、路上飲みについて苦言を呈されていたからです。
正直なところ、僕がやっているのは路上飲みではなく、あくまで歩き飲みだと思っているのですが、真昼間から外で飲んでいることを開けっ広げに人に勧めていることに対して考えさせられるところがありました。
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僕はこのブログで僕は歩き飲みを楽しいものだということで記事を書きました。
路上飲みという言葉でも煽った記事を書いてます。
僕の場合はあくまでも歩きながら飲んでいるだけで、棚などを持って外で飲もうというわけではありません。あくまで居酒屋に行くまでのつなぎとして飲んでいるだけです。
と言い訳をしてみましたが、正直自分のことを言われていると思い、ハッとさせられました。
たしかに路上で飲むことに後ろめたさはある。
僕自身、歩き飲みする時は近所の目を気にします。
酒飲みながら歩いているところを知っている人からみられたら恥ずかしいという思いがかなり強くあります。
後ろめたいからこその楽しみではあるのですが、決して大手を振って近所でできることではありません。後ろめたいことではありますので「みんな!!路上で飲もうよ!」みたいなノリで他人に勧めるようなことではないのだな、ということは改めて考えました。
いやいや、常識的に考えて当たり前だろ!
と思われるかもしれませんが、その辺の判断を誤るところが酒飲みの恐ろしいところなのかもしれません。
自分が楽しいことが人からどう見えるかを考えるのが大人の酒飲み
AppStoreではアルコールに関係する表現があることは明記しないとアプリの審査に落ちます。それほどにアルコール飲料に対しては神経質です。
確かに酒は合法のドラッグです。
時には人を破滅に追いやります。何事も節度を持ってだと思いますが、僕も含めて酒飲みはそれが出来ない人が多いです。酔っ払いは周りが見えていないし、酔ってない人にとっては怖いし、かなり迷惑です。
僕も子供のころ酔っ払いの大きな声と血走った眼付、赤ら顔がすごく怖かったです。
だから夜に酒飲みがいる近所の食堂には行きたくありませんでした。
(父親はすごく好きだったようですが)
飲んでいる本人は楽しいですが、周りは迷惑はよくあることです。
喫煙然り、このブログでも先日取り上げた犬の散歩然りです。
他人の目を気にするな、ということがビジネス書なんかでも書かれていますが、酔っている自分の姿は決して他人から見て良いものではないし、頑張っているようにも見えませんので、気にした方が良いのだなと再認識しました。
歩き飲みと路上飲みは違う。
一点、主張しておきたいのは、僕の歩き飲みは他人の邪魔をしてはいないと思っています。路上飲みというのは100均の棚を用意して路上で酒を飲んだり、信号を待っている間にフックで酒をひっかけて飲んだりしているそうです。
でも、僕の歩き飲みはただ単に歩きながら飲んでいるだけで、立ち止まりませんし、立ち止まるとしたらゴミ箱に缶を捨てる時だけです。
もちろん、他人から見たらどう思うかという点ではろくでもないのかも知れません。
千鳥足でふらふらして他人にぶつかったら迷惑ですし、障害事件にもなりかねません。
決して褒められた行為ではないのですが、その点はちょっと言い訳をしておきたいです。
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酒のほそ道は僕の大好きな漫画で、著者である先生も酒の神様のように思っています。
ですから、当然酒を飲むことについては概ね肯定されるのかと思っていたので、今回読んだまえがきには驚きを覚え考えさせられました。
だからと言って歩きながら酒を飲むことを辞めます!なんてことは書きませんし、思いもしません。これからも飲むと思います。
ただ、心の片隅にラズウェル細木先生の言葉を置いて、こそこそと他人に見られないように楽しもうと思います。