制作者が作れない人の言うことを聞かないのは作れないからじゃない。
制作現場ではディレクターなどの間接的に携わっている人が大勢います。
最近の現場では実際に手を動かす人より、むしろ間接的な関わりをする人の方が増えているように感じもします。
そういった中で、制作者と管理進行するディレクターの関係がうまくいかないことも多々あります。エンジニアやデザイナーが言うことを聞いてくれない、指示に従ってくれない、など現場の声を聞くこともよくあります。
僕自身もディレクターとして制作に携わっていると「言うこと聞けや!」と思うことがよくあります。
そんなもん、職務怠慢を言えばそれまでなのですが、そこは人間なので、何かしら従いたくなくなる理由があるわけです。それは自分自身が作る立場になって考えてみるとよく分かります。
そういえば、自分が作っている時は他人の指示とか聞かねえな、ということも多々あります。では、どうして作れない人の言うことは聞きたくなくなっちゃうのでしょうか。
自分の経験を踏まえて細かく考えてみたいと思います。
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話をしても通じない人とは話をしても無駄という気持ち。
エンジニアに多いのですが、専門的知識がない人には言っても通じないし、説明するだけ無駄、というスタンスの方がいます。
例えば、ディレクターにどうしてこれが難しいのか、時間がかかるのか、を説明しても理解してもらえないし、交渉や相談の余地がないので話をするだけ時間の無駄と思ってしまっている場合です。
Web制作会社などだと、エンジニアが一人とか二人だったりするので、周りのデザイナーやディレクターに自分のやっている作業の難しさや提示された仕様の難しさが理解されないことが多いです。
Web制作会社などですと、エンジニアが一人とか二人の場合も多いです。
そうすると、自分の話が通じる人がほとんど周りにおらず、自分の作業の大変さや難易度が誰にも理解されずに、おのずと自分の殻に閉じこもってしまい、指示に対しても従順に従う気持ちが薄れていくのです。
僕も経験があるのですが、これはよくあります。
エンジニアだけに限らず、自分の作業が周りの人に理解されていないというのは、時には結構辛いもので、そういう気持ちが重なると、作れない人すなわち自分の作業を理解出来ていない人の言うことなど聞きたくない、となってしまうのです。
作れないことが問題ではなく、無関心なのが問題。
作っている人は、何も作れない人に「お前も俺と同じ作業をしろ」とか「作れるようになれ」と思っているわけではありません。
むしろ、自分と同じことを出来るようになられてしまったら自分の存在意義がなくなってしまいます。
少なくともモノづくりをしている人は、大多数の人が出来ないことを出来るという自負はあるはずです。
制作会社の中でも制作の現場と、どこか一線を置いている、斜に構えている人が時々います。もっともらしいことを言うんだけれど、ちょっと難しい技術的なことになってしまうと、途端に関わりを持たないような人です。
気持ちは分かりますが、制作の仕事に携わった以上腹をくくって関わって欲しいと思います。分からないことに対しては分からないなりに調べるとか勉強して理解する努力をして欲しいものです。
よく「俺は数字しか見ていない(過程はみない)」と社員に宣言する社長がいますが、制作という業種で起業を選んだにも関わらず、自分は数字しか見ていないとはどういうことだ!と僕は思ってしまいます。
経営者の立ち位置としては正しいのでしょう。それは分かります。
むしろ一線を置かなければならないのかもしれません。
しかし、制作という業務はすべて過程(工数)に対して値付けがされます。売上という数字もその過程から生まれてくるのです。一見成果物に対して支払っているように感じますが、制作会社の多くの見積りは成果物より成果物を作る過程に対して費用を算出しているのです。
その過程を無視して結果(数字)しか見ないなんて言われたら制作者はそんな人間の指示なんて聞きたくねえや!と思ってしまっても仕方ありませんね。
作れないのであれば、作れないなりに関わり方があります。
分からないながらも自分なりに勉強してみるなど、その姿勢だけでも作る人は親近感を覚えますし、そういう人の印象というのは悪くはありません。
そういう人から相談があれば、作る人は提案やアイデアも出すし、一緒になって考えてくれるものです。まるで他人事のような携わり方をしているような人の言うことは聞きたくもない、というのも制作者の本音です。
作業を簡単かどうかを決めるのは、本人であって他人が決めるものではない。
そんなの簡単だよ、が口癖の人(経営者)がいました。
プログラムについても、概念だけを聞けば自分で分かったように気になって、理屈的には簡単にできるだろう、と口に出して言ってしまうのです。
こういう言動って制作者はかちんときます。
現場でよくあるのが、その人の今までの作業のスピード感から「これって簡単だよね」と言ってしまうこと。自分で言うならともかく、人から言われるのって良い気がしません。
自分がやらない作業に対して「簡単だよね」「すぐ出来るよね」というのはその人の存在を無視した言い方です。
だからと言って個人の意見を尊重して、実際には1時間程度で出来る作業を1日とされてしまうと仕事になりません。制作者の言葉を鵜呑みにした工数やスケジュールを出して、クライアントを呆れさせたうえに、案件自体を失注したりするディレクターもいます。
「今までの○○くんのスピード感だと、1日でいけると思うんだけどどうかな?」
とか、こんなもんすぐやってくれよ、と思っていてもちょっと表現を変えるだけで、現場がスムーズに動きます。
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だったら自分でやれば良いじゃん、は制作者が思ってても言うべきではない。
だったら自分でやれよ!
この言葉も制作現場ではよく聞きます。聞くというか脳内で思ってる人はかなり多いでしょう。実際にキレて言ってしまう人もいると思います。
僕も制作の仕事をしていて20年近くたちますが、思ったのは何万回だか覚えてもいません。
しかし、これは愚痴でいう程度であればともかく、依頼している人や雇用主に対して思っていても言ってはならないと思います。むしろ言ってしまうことで自分たち制作者の値打ちを下げてしまいます。
というのは、仕事というのは自分ではできないこと、出来るけど時間をかけられないことに対して、給料や制作費という対価を支払って作業をしてもらっています。
自分で出来るのであればそりゃあやってるよ!というのが依頼している側の気持ちです。そもそも自分でやれよ、じゃあやるよ、では制作者は仕事がなくなってしまいます。
ディレクターなど間接的な役割の方に対してもそうで、制作者の代わりに制作者のミスをクライアントに謝りに行ったり、スケジュールを調整するのは、制作者にとってはやりたくないことをやってくれているので、そこは持ちつ持たれつという気持ちを忘れてはいけないと思います。
つい、感情的になってしまう気持ちは痛いほどよく分かるのですが、それを言っちゃあおしまいでしょ、と思うわけです。
最近、業務では作ることがめっきり少なくなってきましたが、定期的にこういうことを書くことで、制作現場の制作者の気持ちを忘れちまってはならないな、ということを再認識しております。