坊主にすることは禿げのゴールとなりえるのか。
坊主にして早3年が経つ。
M字禿げの進行を髪型で隠しつつ、だましだましやってきたのだが、強風の日なんかは全然隠しきれておらず、精神的に隠すことの方が限界に達していた。
正直なところ、坊主にする時はかなりの決断が必要だった。
風呂場でバリカンを当てた後、本当にこれでよかったのか、もしかしてやっちまったのか、後悔と動揺が自分の中でないまぜになって、何とも言い難い感情が湧き上がってきた。
坊主にした当初、今まで知っている人の目を見て話せなかった。
最初のうちは坊主にすることでさらに恥ずかしかった。
これは1年くらい続いたと思う。
3年目、ここ最近になって、自分の中でも周囲でもやっと定着したように思う。
最初は6mmで刈っていたが、最近は3mmに替えた。
スキンヘッドまでいく予定は今のところない。
(あれじゃあれで手入れが大変だと思う。)
坊主になっても禿げは目立つ。
晒すか晒さないかの差だけであって、あまり変わりはない。
肝心なのは、禿げているということを、周りの人間に対してどのように意識させるかではないかと思う。
家族の間では、笑って話せるが、職場だけ微妙な雰囲気になる。
別に普通に自虐ネタで坊主ネタを話しても良いのだが、一度作られてしまった雰囲気というのは、笑われる当事者である自分で変えないことには変わらない。
かと言って自分から小馬鹿にされるような雰囲気を作るというのも、考えてみると腹が立つ。結局職場では、陰では禿げと言われてるのかも知れないが、表面上は私の頭のことはタブーとされているのではないかと思っている。
禿げという部分については坊主にした時点で、周囲との関係性は何も変わらない。
話は変わるが、坊主にはシャンプーなんて必要ないだろ、と思われる有毛識者の方もいらっしゃるだろう。しかし、私にいたっては、なんとなく育毛系のシャンプーを使っている。頭皮を清潔に保っていることで何かが変わるかも知れない。
無駄だということは分かっているのだが、一縷の望みを捨て切れていないのだろう。
で、表題の坊主が禿げのゴールかという話だが、完全なゴールにはなり得ない、のではないかと思う。勢いよくゴールに向かってバリカンを頭に走らせたところで、完全に自分の頭皮の問題が身体から消え去ってしまうわけではない。
確かに隠しようがない状況を作り出したことで、吹っ切れた感みたいなもので、多少気持ちが軽くなる程度のことはあるかも知れない。
しかしながら、根本的な部分では何かを捨て切れていないように思う。