たかもブログ

お酒、スマホゲーム開発、Web制作のことなど好きなことを何でも書いています。事実のみすべて主観です。

高級ブランド品に自分を持っていかれそうになって身の丈に戻ってきた話

身近にブランド品を持っている人がおらず、ずっとブランド品に興味がなかったのだが、一時期ちょっとお金持ちの方と近しく接することがあり、お金を持っていてブランド品なんかを身に付けている人が格好良く思う時期があった。
今は何とも思わないのだが、当時は金持ちに免疫がなく、お金持ちってこうなんだ、と単純に何もかもが凄い!と思ったし憧れた。

そして、新婚旅行で行ったフランスで初めてルイ・ヴィトンの財布を購入した。
ブランド品持つのって気持ちが良い!何にもしてないのに自分がレベルアップした気になった。支払いの時に鞄からヴィトンの財布をおもむろに取り出す俺、という自意識をビンビンに感じていた。

その後、オメガの一番安めのビックカメラで15万円くらいの時計を分割5回くらいで買った。その頃ちょうど会社の立ち上げに携わっており、ビジネス書を読んで時計は良い物を付けておいた方が良い、ということが書いてあったので意識して購入したのだ。
時計に10万以上って馬鹿じゃねえの?と思っていたのだが、実際に身に付けてみるとこれもまた、レベルアップした気になってしまう。

一度ブランド品を持ってしまうと、持つ前は何とも感じていなかったのに、ペンはモンブラン、車はベンツとか乗ってみたい、などブランドに対しての憧れが広がってしまった。
もちろん金持ちでも何でもないので、実際買えないのだが常に気になる存在となってしまったのだ。著名人や有名人が愛用しているグッズの雑誌などを購入してみたり、特に何も成し遂げてないしにも関わらず、ブランド品を身に付けている一歩進化した俺を探し求めていた。

 

しかし、ある時新しいスニーカーを買おうと思い、ニューバランスのスニーカーが凄く歩きやすいというのを聞いて、値段もお手頃なモデルを試しに購入してみた。
すると、やけに歩きやすい。やはり日常毎日履くようなスニーカーは歩きやすさが一番だということを今更のように気づいた。

日常の使いやすさという事に気が付いたぼくは、毎日持っている鞄も気になり始めていた。革製の鞄を使っていたのだが、これが重い。

ナイロンで防水で軽いものが革の鞄の1/4位の値段で売っていたので、これも買い換えてみた。すると、これもまた軽くて快適。

物にもよるけど、わざわざ高い金払わなくても日常使いする分には安くて機能的な物の方が値段以上の価値があることに気が付いた。
毎日使う物が長持ちするのに越したことはないが、汚れを気にしたりせず、負担にならない持ち物が一番自分には良いのだ。この時、買えもしない高級ブランド品を常に目をギアギラさせながら物色していた自分が少しづつ消えていたのかもしれない。


一人目の子供が生まれ、二人目の子供が生まれてから、自分の自由になる金も時間も少なくなってきた。平日は通勤の往復、休日は家族の買い物や子供の世話。自分の小遣いの使い途も子供の喜びそうなDVDや人形などの購入に充てたいと思うようになってきた。下手すると休日は一円も自分の小遣いを使わないことすらあるようになった。

今年から息子の幼稚園が始まるので更に毎月金がかかる。
今はその費用を捻出するためにどうすれば良いか考える日々だ。

物欲自体はなくならないが、最近は安くてもデザイン性の良い物、自分しか持っていないもの、というところ最近は価値観を置くようになってきた。自分の買える範囲で最大に満足する物を探して購入する方が気持ち的にも満足できる事に気が付いた。

つまり身の丈にあった物を手に入れればそれで良いということだ。

 

確かに高級ブランド品は質は良いだろうし、持っている優越感というものがあるのは事実なので、買える人が買うことを否定はしない。(ひがみはするかも。)
しかし、身の丈の持ち物を持つ安定感というのもあると思う。

ここまで書いておいてなんだが、結局高級ブランド品で買ったのは財布と名刺とベルトだけなので、戻ってきたというよりは首を突っ込んで帰ってきたという感じかも知れない。