クリスマスがやってくる。
溝の口の駅を降りると毎年恒例のイルミネーションが始まっていた。
特にこれといった取り柄のないように思われる街ではあるが、この時期のイルミネーションばかりは毎年綺麗だと思う。
クリスマスというとサンタクロースだが、この老人が実在しないと知るのは一般的には何歳くらいなのだろうか。もしかしたら成人した大人でも未だに実在するものと信じている方もいるかもしれない。
こういったものは神様と同じく心の中に存在すれば良いものなので、信じていることを否定するつもりはないのだが、私が実在しないのを確信したのは小学校低学年(確か3年生くらい)である。
それまでは12/25の朝に起床すると、枕元にクリスマス用のラッピングをされた望みどおりのプレゼントが置いてあったので、知らない間にそういった謎の人物が本当に置いていってくれているものと信じていた。
その年、私がサンタクロースにお願いしていたのはスペランカーというファミコン向けゲームソフト。
どうしても欲しかったのでクリスマスまで待ってお願いしていた。
クリスマスまであと数日と迫ったある日、家の中で妹と遊んでいる時、押入れに隠れた拍子にクリスマス用の包装紙でラッピングされたものを発見した。
この時点でそれが何であるかサイズを見れば一目瞭然だった。
勝手に開封することはさすがにまずいと思い、包装紙を蛍光灯にかざして包装紙の中身を透かしてみると、まさにスペランカー。
その時はそれが手に入るという嬉しさが勝り、両親が自分のために毎年恒例にして夢を与えてくれていたなんてことは到底考えられず、勢いあまって母親に「これ、スペランカーだよね!」と聞いてしまった。
それを聞いた母親に私は何と言われたかまでは忘れてしまったが叱られた記憶がある。
きっとサプライズで喜ばせてやろうという目論見が完全にこの時点で外れてしまったのであるから、今となれば気持ちも分からないではない。
時として善意というものは思い通りに相手に伝わらなかったり、予想していたリアクションがなかったりすると怒りに変わったりするものだ。
このことがあった翌年から12/25、私の枕元にプレゼントが置かれることはなくなった。
貰えなくなったのではなく、店頭で自分で選んで買ってもらうというイベントに変わったのだ。
クリスマスプレゼントはいつの頃からかもらうことはなくなっている。
小学校、中学校どこのタイミングなのかは忘れてしまったが、どこかの年からなくなった。
それが同意のうえなのか、自然消滅していったのかはもう定かでない。
現在37歳、今はもちろん両親からは貰っていない。
クリスマスになると毎年このことを思い出す。
思い出さない年はない。